文章世界

日々延々ずるずるのマンネリエッセイ 元ひぐらしのブログ

国民読書年にあたり

 なんでも今年、2010年は、国民読書年だそうで、でもそんなの全然聞いてね! ってか。
 けれどこれは、決して法螺や噂でもなんでもなくて、2008年の6月に、衆参両院全会一致で決定された事項であるとのこと。つまり国家の定めた重要な件だったわけだ。まあ、知らないけれども。

 さて、前置きはそれくらいとして、本日号は読書の話しである。
 現時点で我が家に何冊くらいの本があるのかは、もうさっぱり分からない。いまのハウスに越してくる前に、ざっくり数えて千数百冊はあったことは覚えているから、それよりは多いだろうけれどまあ、その後捨てることもあったり、そもそも多量の本を置く場所などないのだから、2千冊を超えることもあるまい。

 それではいったい生まれてこのかた(この時点で50年)、何冊の本を読んできたのか。これはますます不明になるけれど、我が家に現存する本と、それ以前に我が家にあっていまは無い本を比較すると恐らく後者はそれほどの数でもないだろう。だからまあ、2千数百冊くらいと云うことにして、当たらずとも遠からずではないかしらん。
 この量は、同年代の平均に比べると若干は多いような気がするけれど、文章に係わるような職にある人に比べれば全然少ないと云ってよいと思う(普通は万単位の蔵書だろう)、けれど読書は量でなく質だから。かな?

 それで、ひとまずはその2千数百のうち、おそらくだけれども、約8割は、40歳になる前までに読んだものと思う。それとか、もっとも読書量の多かった年代は、25歳から35歳くらい。逆にもっとも少ないのは(少年時代は除く)、40~45歳とか。
 振り返ってみれば、そんな若いころに読んだ本の何と輝かしかったことだろう。思うに、少年時代も含めて青年期に読んだ本は、内容の詳細を驚くほど鮮明に記憶していることが多い。内容と云うか、心に残る1節だろうか? 
 たとえばの話し、これは本と云うか、学校で習った古典の教科書だけれど、枕草子徒然草方丈記奥の細道、そんな色々の冒頭部分は、40年近く経ったいまでも一言一句まで全部覚えていて、「冬はつとめて、雪のふりたるは云ふべきにもあらず、霜のいと白きもまたさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして炭もて渡るもいとつきづきし、昼になりてぬるくゆるびもてゆけば、火をけの火も白き灰がちになりてわろし」よし、完璧な丸暗記。ちょいとオタク的に枕草子も冬の章だけどね。

 そんな風にして毎日沢山読んできた結構な数の本は、まだ青いとは云える若かりし日の小生に極めて非常に重要な心の滋養となった。もし仮にその滋養をまったく摂らなかったとすれば、いったいいま自分はどのような人物になっていたのだろう。むむむ、まあ、IFはどうでも良いや。

 いま日本では人々の活字離れ、本離れがますます進行しているようである。情けないことである。せめて子どもには沢山の本を読ませたいとは思うけれど、ああ、じっさい我が子らはどうしたわけか、全然本を読まない人に育ってしまったし。

 それで、国民読書年にあたり……、って、何をどうすれば良いのかしらん? 

 

<補遺 あれから15年後>
 国民読書年は、2010年の一度切りで終わったようである。結局のところ、この企画によって何がどうなったのか、あるいは変わったのか、さっぱり分からない。
 また、あれから15年後の我が家に何冊くらいの本があるのかも、さっぱり分からない。
 なになに? なにもかもさっぱり分からないではどうにもならないじゃないか。
 いやいや、ご心配なく。分からないのは、上記の2点だけのことで、それ以外のことはとても良く分かっているさ。
(2025年4月記)

 


おわり