後生畏るべし
新入社員研修のまとめを行なうからとのことで、講師全員に集合の指示である。その中では、新入諸君それぞれが今回の感想なりをのべて、また彼らの1年先輩からは後輩に向けてのアドバイスなどもあった。講師にはべつに出る幕がなかったから、参加しなくても構わなかったと思うけれど、ただ、若い諸君らの発言は大変興味深くて、聞くだけの意義は十分あったと思う。
聞きながらふと思い出したのは、
「子の曰く、後生畏るべし、焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦た畏るるに足らざるのみ」
論語だけれども、前段の意は、まさに今回の諸君のごとしで、つまり、自分より後から生まれた者だからと云って侮ってはいけない。いったい彼らが今の自分らほどになれないなどと、どうして云えるのであるか、と。
自分の若かりし時代の若者一般と比べて今の若人諸君の方が総じて立派だとは全然思っていないのだけれど、ただ、自分が新入だった当時の、自分も含めた同僚たちと、今の彼らを比べれば、これはもう断然後者が立派なのは歴然であって、前者はまあ、箸にも棒にも、と云った感じである。これは何故かと云って、やはり有象無象の輩と選び抜かれた超エリート集団の違いではないかしらん。
さて、前掲の論語だけれど、むしろ後段のほうが、孔子のほんらい述べたかった思いだろう。その意はざっくりと、40代~50代くらいにもなって世間に名前が知られてないような人物などまったくお話しにもならんわ、と。これに前段を加えて、そんなような人物に限って、若者をひどく劣ったものとして罵倒したり侮ったりしているが、まあ、きっとそのうち、馬鹿にした若者にあっさり追い抜かれてしまうぞ。
しかしこれは、云われた年代に達したものにとっては、大変耳が痛い言葉である。自分は50代になって果たして周囲に名が知られるような人物になったのかどうか。そうなっていないのなら、今後の粉骨砕身は当然として、”後生畏るべし”は十分肝に銘じておかねばなるまい。