独身を謳歌する
もしも自分がずっと独身のままであったなら、いまごろはいったいどんな暮らしをしておるのだろう。と云う風なことをあれこれ妄想してみるのだけれども、じき馬鹿馬鹿しくなって止めた。
たしかに50代の独身男とくればもう、お金はざくざくの左団扇であらゆることが好き放題、なんら不自由もなく欲望の限り(下半身あたりもだな)に生きていけるわけで、ただ妻子ある現在の暮らしを思ったときに、それらの贅沢も充たされた欲望も何もすべては野良犬にくれてやるほどちっぽけで下らなくてどーでもよいことに見えてくるのだった。まっ、いまの幸福が続くなら、べつにお金も自由も要らないよってんだ、コノヤロウ(多少負け惜しみもあるような)
そうは云っても、この幸福はいつまで続くものではなくて、子どもらは順に巣立っていくのだし、その後は爺婆二人だけの暮らしが待っているわけだ。やがてはどちらかが先に死んで、その時は否が応でも残された方は独身に戻る。まあそれは「我、裸にて母の胎を出でたり、また裸にてかしこに帰らん(ヨブ記の一節だったかな)」と云った人類永遠の原則なんだけどね。
ただ、もしや婆の方が一足先に旅立っていったとすれば……、いははや、これはまったく酷いものだなとつくづく思う。その時、爺がまだそれほどヨボヨボに老いてないのであれば、冒頭云ったような妄想も思いがけず現実になるのだけれども……はあ、やはりそりゃ駄目だ。絶対にいかん。むむ。
本屋大賞(2010年)を受賞した「天地明察」冲方丁(角川書店)を読んだ。
これは江戸時代に実在した数学者の半生を描いた歴史小説で、数学と聞けば頭が痛くなりそうなところ、物語の縦糸には主人公と、やがて妻となり生涯を添い遂げることになる女性との恋愛編も織り込まれているから、老若男女を問わず結構楽しく読めるのではないかしらん。
それで書評ではないのだから内容はひとまずとして、物語は主人公の半生を描いているので、当然ながら彼の没するところで幕を閉じる。ところがなんと、前述で触れた妻(両人とも一度は別の伴侶を得たが、やがて同じくらいの時期にそれぞれ死別、その後再会した二人が再婚した)も、夫と同じ日に逝去とあったから驚いた。
小説とは云っても、実在の人物を主人公にしているから、これは史実に違いあるまいが、それにしても長く添い遂げたどうしが同じ日に旅立っていけるとは、まったくこれ以上の至福はあるまい。
つれあいのどちらが先に亡くなるかは、おそらく夫が先にと云う方が多数だろう。これは日本人女性の平均寿命が男性よりも7年程度長いことと、夫婦の年齢差は平均で2歳程度男性の方が年上であると云う統計からも納得できる。
けれどほんとうは男も女もそうなることがもっとも望ましいと、遥かな太古より我々の先祖たちが願い続けてきた結果として、女性は寿命が伸び、男性は年下の女性好みになりと云う風に遺伝子(?)が進化したのではないかしらん。
それにしても人間の男と云うのはあらゆる動物の中でも極端にひ弱い生き物だからどうもこうもならない。もしや長年連れ添った妻に先立たれた夫は、その日から三度の食事もままならず衣服をまともに着ることも洗濯も掃除もお風呂も何ひとつ満足にできないわけだし、また精神的にも、つれあいを失った寂寥、寂寞、悲哀、喪失、と云ったあらゆるネガチブ感情から、ほとんど永遠と云ってよい期間抜け出すことができず、と。
嗚呼、まったくもって、男とはなんたる悲しい生き物であることか。
対する女性の方は、夫を亡くしたことによって生じる実害は、経済的には相当かもしれないけれど、その他にあるのは精神的な少しの負担くらい。それも長期に渡り尾を引くものではなく、むしろ長年に渡ってはめられていた”タガ”が外された開放感を彼女らは存分に満喫し以って残りの人生を最高に明るく楽しく元気よく生きていくのではないかとも思うわけだ。(これはとうてい世に開示できない文章になった)
まっ、なにしろ世の妻たちは、この馬鹿馬鹿しいほどにひ弱な夫を最期ばかりは、そのやさしい腕の中で安らかに死なせてやってほしいと切に願う。その代わり夫は妻にその後のバラ色の人生(少し短いけれど)を贈るのだから。逆は? 絶対にいけませんのいけません、まったくお話しになりませんです。