褒章を賜ると云うこと
毎年春夏には叙勲、褒章の話題がニュースになったりするけれど、やはりTV等の華やかな場で取り上げられるのは、紫綬褒章など受けた芸能人の話題ばかりのようである。ちなみに本年春の紫綬褒章は、都はるみさん、他。あっ、「三丁目の夕日」の西岸良平さんもだ!
勲章と云えば、昔は、一等、二等のように等級がついていて、たとえば、勲一等旭日桐花大綬章だとか。けれどその語感がなんとなく気色悪かったのと、最上位の叙勲者は政治家の名前ばかり矢鱈目立つのが、かなり胡散臭い気がしたものだった。
だいたい勲章も褒章も、世のため人のために精一杯身を粉にして尽力した功績に対し贈られるものだろうから、まあ庶民感情としては、表舞台で華やかな活躍をする人たちよりも、市井の片隅で人知れずご労苦を重ねながら尽力、と云った方々にこそ授与されるのが良いなあと思ったりするわけだ。
前述に少しく関係あるところで、なにかの本にこんなエピソードが載っていたのを思い出した、「小さな町工場のおやじが長年の誠実な仕事ぶりを認められ叙勲の栄誉に輝いたのである。おやじの喜びは大変なものであったが、ただひとつ大いに悩むところがあって、それは”勲章を天皇陛下御自ら下し賜られる際に発せられる御言葉に、かような自分がきちんとお答え申し上げられるであろうか? よしんば狼狽の挙句失礼などあった場合にはきっと腹を切ってお詫びせねばなるまいが”、おやじはそのようなことを真剣に妻と毎日のように話しあって夜も眠れなくなるようであった」
おやじの頭にはTVニュースでよくやっている文化勲章授与式の映像があったのかもしれないが、もちろん天皇陛下から云々と云うのは、政治家連中や有名人の受賞するごとき最高位の勲章に限られているのである。それでも思うに、町工場のおやじが受賞した勲章(うんまあ、全国で数千人くらい受賞する…)の方が、勲一等なんとか大綬章よりもいっそう尊い輝きを発しているのではないかしらん、と。