文章世界

日々延々ずるずるのマンネリエッセイ 元ひぐらしのブログ

自身の内なる神を見つめる

 ほんとうの「善・悪」とは、あるいはほんとうに「正しいこと・間違ったこと」とは?
 そんなことを時折り考えたりする。けれどいつも結論として思ってしまうのは、ほんとうのことなど存在しない、あるのは相対的基準による判断のみなのだと云うこと。
 例えば、他人のイノチを奪うと云う、どう考えても「悪」としか認めようのない行為ですら、戦時下にあっては、より多くの敵を殺すことが「善」であり「正」とされるのだし、死刑と云う合法的殺人も今だに廃止の声を聞かないではないか。
 結局、善悪も正誤もその時点におけるそれぞれの人間のそれぞれの基準によって相対的に決定される曖昧なものでしかないわけで、やはりそれを絶対的なほんとうのことと認めるわけにはいかないと思う。

 もしも絶対と云うことがあるとすれば、それはおそらく「神」だろう。世界を創り人間を創り森羅万象全知全能を掌る神と云う存在。これこそは人知を超え、あらゆる善悪もまた正誤に対しても絶対的な判断を下し賜るものであるに違いない。ただ、それとても万一神と云うものが、人間の創り出した相対的な存在に過ぎないのだとすれば……

 以前、ぼくは神について以下のように書いたことがある。

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 神は善なるものであるのか。
 おそらくここで神はとんでもなく悪いやつだ、などどいったが最後、熱心な信者たちからぼくは弾圧され迫害を受けることになるかもしれない。けれどもそのこと自体が、神は悪しきものであるというなによりの証拠だろう。
 米国の作家スチーブン・キングは、神を題材に書いた小説「デスペレーション」の中で、熱心な信仰を持つ11才の少年デイビットから、愛するものすべてを失わせた末に「神は残酷だ」と語らせている。つまり神は善でもあるが悪でもあると。
 キングの描こうとする神は新約聖書で説かれるところの慈悲深い神ではなく、旧約的な神すなわちノアの洪水で世界を滅ぼそうとたくらんだ恐るべき、怒れる神の姿に違いない。

 先の9・11テロ事件でも神は激しい怒りをもって人類の英知の結晶ともいえる巨大ビルを破壊しつくした。
「何をいっているんだ。あれは神のやったことじゃない。悪い人間のやったことじゃないか」
 そうだろうか? 直接手を下したのは人間だが、その人間は彼の信ずる神の意志によってその行為を行なったのではなかったか。
「何をいうか。あれは神じゃない。あんなことをする神などいるはずがない」
 先日の新聞に、ある高名な宗教家のコメントが載っていて、それは「これほど残酷な宗教ならば、この世にある必要がない」となっていた。だが必要であろうとなかろうと現にその残酷な神はこの世に存在しているのである。

 神はあらゆる人間の心にあらゆる形で働きかける。それが善であるのか悪であるのかは人間には分からない。ただ人間はそれぞれ、自身に働きかけてきた神を信じるのみだ。それが例え、Desperation=絶望であるにしても。
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 最近の日本にも、神を騙った狂人による戦慄すべきテロルがあった。この狂人が何を考えていたのかは知らない。だがそれに付き従い凶行に走った信者らは、やはり自身に働きかけた神を信じ従ったのだと思う。恐るべき邪神の意志のままに。
 不遜は覚悟の上で云えば、神とはおそらくそのようなものだろう。しかし、太古より人間はつねに神とともにあった。それは何故だったか。
 かつて大自然の中であまりにも弱い存在であった人間は神という大きな拠り所なしでは生きられなかったのかもしれない。だが人間以外のいかなる生き物も神は必要としなかった。何故人間のみが神の在ることを欲したのか。そしてすでに大自然のすべてを制圧するに至ったとも考える傲慢な人間が、それでも今なお神にすがろうとするのはいったい何故か。

 そう云う様々を考えるとき、やはり神は人の外にあるのではないと確信する。
 どうしても絶対的な唯一神など存在せず、その時点におけるそれぞれの基準によって相対的に人間の内に創り出した邪悪なあるいは尊いかもしれない精神こそが実は神なのではないか。そうしてやはり邪悪な神に付き従った末に行き着くのは、果てしのないDesperationでしかあり得ないとも思うのだ。

 今、われわれは外ではなく自身の内にある神をもういちど見つめ直すべきだと考える。そうしてぼくは、これはまさに神をも恐れぬ発言ではないのか、まるで邪教の教祖のごとき発言には聞こえないかと云う不安に怯えながらそれでもなお以下のことだけはどうしても書き述べておきたい。

 われわれは神なくしては生きられない弱きものだ。しかしその神は自身の内にもある。外なる邪教に依存するな、自身の神とのみ対峙せよ。相対でなく絶対的なほんとうのことに近づく努力を怠らず、信じるに値する正しい道を選び進め。その先が絶望に向かうことを決して自らに許してはいけない。必ずHopeful(希望に満ちた)であること。

 


おわり